はじめまして。鍼灸マッサージ師の 原正明 と申します。
楽々は、私が一人でやっているお店です。どうぞ気軽にお立ち寄りください。
お店のプロフィール
2006年5月、勤務していた在宅マッサージの会社を辞め、「訪問マッサージ楽々」を開きました。それから市内で在宅療養中の患者様のQOL(クオリティオブライフ 生活の質)向上のため、10年以上訪問治療のみで活動してきました。お陰さまで主治医の先生方や地域のケアマネージャー様からご理解を頂き、何とか一人で続けることが出来ました。
今度はより多様な患者様(お客様)のお役に立ちたいと思い、その場所として自宅を院として構えることに致しました。わかりにくい場所で普通の民家ですが、良く言えば隠れ家的な治療院です。アットホームで質の高いサービスを提供し、ご満足いただけるよう努力してまいります。
院長プロフィール
誕生日 昭和47年5月2日
家族 妻と娘2人
休日は 家族と過ごしながら、隙を見てバイク、自転車に乗ったりしています。
資格 鍼灸師 あん摩マッサージ指圧師(厚生労働大臣認定国家資格)
介護支援専門員(ケアマネージャー)非常勤で業務しています。
略歴
1972年5月、名古屋に生まれる。
親の転勤を繰り返し、奈良で定着
1992年、同志社大学文学部入学
1996年、株式会社ユニチカ入社
1999年、退社
2000年、神奈川衛生学園東洋療法科 入学
在学中、指圧専科の治療院で指圧の基礎の修行を積む
この院長はこの当時でも珍しい破天荒型。離婚歴、いつも裸足、部屋汚い、言うこと滅茶苦茶。。 でも、クラシックギターと指圧(強揉み)は天才肌。どうしても好きにはなれなかったけど、指圧の基本は叩き込まれました。
2003年、はり師、きゅう師、あんまマッサージ指圧師 資格取得 接骨院に勤務
この接骨院は、地元藤沢ではけっこう人気のある院でした。整形外科疾患は一通り学ぶことが出来ました。
2004年、妻の実家である広島に移る。在宅マッサージの会社に入社
この会社は、広島に支店を開くところで、オープニングスタッフとして営業から何から経験しました。訪問マッサージを広島ではケアマネさんも殆ど知らなくて、怪しいやつ見る目つきがきつかったなあ。。
2006年、訪問マッサージ楽々 設立
3年頑張って働き、独立しました。最初は患者さんも少なかったけど、真面目にやってたらいい患者さんに恵まれ、それは今日まで続いています。
2015年、楽々鍼灸マッサージ治療院 開院 (東区上温品)
自宅の一室で開院。保健所の基準ギリギリで、何とかやってました。
2018年、楽々鍼灸マッサージ治療院 段原に移転開院
が、早々に失敗を悟り、3か月で閉院、元の自宅温品院に戻る。
失敗の原因は、移転時期と物件の選択ミスでした。訪問治療で夕方までかかる状況ではマトモに営業できず、物件も贅沢すぎて維持が出来ませんでした。
この失敗はかなり堪えましたが、色々な体験をし、勉強にもなりました。自分の甘さを戒め、これからの仕事に活かして行きたいと思います。
私がこの道に入るまで
もともと若い頃は健康に対して特別な思いはありませんでした。大学を卒業し、会社員になり、普通に働いていました。海外勤務を夢見て英語を磨き、2年目に海外事業部配属の辞令を受けることができました。
その頃、会社のサッカー部の練習中、急に痙攣を起こして倒れる、という事件がありました。病院に運ばれても何もわからず、すぐ退院、復帰。
そういうことが3回くらい続きました。
3回目に原因が分からずに帰ってきたとき、母親が黙っていませんでした。
「何かおかしい。絶対に原因をハッキリさせる!」
そう言って、面倒臭がる私を強引に近くの総合病院に連れていき、徹底的に調べてくれと注文しました。
そこでやっと、脳に腫瘍が見つかりました。
先生の言葉は、ありゃ〜、なんか出来とるね。
なんのことが分からず、ただこれからどうなってしまうのかと不安ばかりだったのを覚えています。
腫瘍は4段階のうち2番目に悪性度の高いものでした。手術だけでは取り切れず、科学治療、放射線治療を行いました。だるさや吐き気、髪は抜け落ちて一番辛い時期でした。
病院ではポジティブなことはあまり考えられません。ある夜消灯後、このまま死んでしまうかもしれないと、ふと思いました。何だかそれが自然なことのようにも思えました。カーテンで仕切られた病室の四角い天井を見上げながら、もしも生きて出られたら自分も人の健康を手助けする仕事をしたい。できたら重い病気になる前に良くするような仕事をしたいという思いが強く浮かびました。
入院期間は4ヶ月に渡りました。会社は少し待ってくれましたが、入院中に元の配属に戻されてしまいました。代わりに海外事業部に配属されたのは、後輩でした。この時の悔しさは今でも忘れていません。自分が敷いたレールに、後輩を乗せてしまったのですから。しかも、この後輩は僕が仕事を教えたやつだったのです。
退院後、仕事に復帰してもやはり、やりがいの感じられない日々が続きました。一度死を意識したことで、なんとなくレールに乗ってなんとなく生きていけると思っていた自分の人生が、とても限られたものであると気づいたのです。このまま会社員としていつ終わるかわからない人生を生きていくのは、きっと後悔が残る。やはり病院の天井を見上げて思った、人の健康を手助けする仕事がしたい。との思いが日に日に強くなっていきました。
そうしてお世話になった会社を辞め、鍼灸マッサージ師の専門学校に入学して今に至ります。人生、何が起こるかわかりません。この選択が良かったと思えるよう、いい仕事をしていきたいと思います。